
〜 中編 〜
Blooming Signが指し示す成功者、杉田曠機さんの宿命のバイオリズム
逆境に負けず、宿命を使いこなして才能を開花させ、自らの努力で運を切り拓く「成功者」。ここでは、そんな成功者のひとり、杉田曠機さんが歩んだ人生と光華千絵さんの「Blooming Sign」が指 し示す宿命のバイオリズムを照らし合わせながら、人生の勝ちパターンをつかむ方法や人生をステージアップさせるコツを探っていきます。 前編では、杉田さんが生まれながらに手にした武器「ハーミット(隠者)」や期間限定で与えられていた武器「ナイト(騎士)」が与えた、杉田さんの宿命への影響について解説してきました。続く中編では、書道の道へと進んだ杉田さんが「パイレーツ(海賊)」という星に導かれ、躍進していく姿 をお伝えしていき ます。
アーティストとしての原体験を得た、路上パフォーマンスとの出会い
映画『バスキア』の影響から表現の世界へと足を踏み入れ、書道家を志した杉田さんが選んだのは、独学でその技術や技法を学ぶ道でした。そのため、特定の書道家に師事することはありませんでしたが、偶然2人の筆文字作家との出会いに恵まれたことで、彼らの付き人をする機会を得 ます。そのなかで、杉田さんはその後の自身のキャリアに大きな影響を与える、ある場面に遭遇 したと話します。
「彼らの仕事を手伝うボランティアを1年ほどさせてもらっていたんですが、その間に“言葉で人が泣く”姿を何度も目の当たりにしました。彼らがパフォーマンスで書いたたったひとつの言葉に、涙を流すほど喜んでいるお客さんがいるんです。そこから『自分にも“誰かの明日”をつくれることができるんじゃないか』と考えるようになっていきました」(杉田さん)
もちろん、その背景にあったのは、先述した身近な2人の自死でした。「もしもあのとき、自分が相 談を受ける側で、何か言葉をかけることができていれば、自分の言葉によってあの人たちは生き ることを選んでいたかもしれない」と思うようになっていたからです。
それを機に自身でも路上パフォーマンスを始めるようになった杉田さんは、単に自分が満足する文字を書くのではなく、「人を幸せにする」ために文字を書いていくことを決意。初の路上デビュー では、びっくりするくらい手が震え、「お世辞にもキレイな文字が書けたとはいえない(笑)」と当時を振り返りますが、お客さんから「ありがとう」の言葉をもらったときにその震えはピタリと止まり、 えも言われぬ充足感を感じられたと語ります。
「自分が書いた書を受け取った人が、みるみるその表情を和らげていく様を見たとき、『今を生き る人たちの役に立っているんだ』という実感を得ると同時に、自分自身も満たされる感覚を得ました。それはアーティストとしての原体験を初めて獲得した、人生が変化した瞬間でした」(杉田さ ん)

筆文字作家の先輩(写真右)の付き人をしていた頃の一枚。1年間の付き人生活を通じて、筆文字作家の人たちがどうい う生き方をしているのか、見聞を広めていた
路上生活を送ることで見えてくる世界で“本当の自分”を取り戻す
そして、路上パフォーマンスを続けるなかで杉田さんは、「社会をもっと地べたから見ないとダメだ」と感じるようになります。その当時からいつかは世界に出ることを夢見ていましたが、それを 実現させるには足元からしっかりと自分を固める必要があると考えたからです。その結果、杉田 さんが下した決断は、なんと路上生活を始めることでした。
「必要最低限の生活道具とパフォーマンス道具をスーツケースにまとめ、それ以外のものはほぼ すべて処分しました。でも、決してホームレスになりたかったわけではないんです。路上で人と交 流しながらパフォーマンスしたり、お客さんとの会話からその方の人生に耳を傾けるような生活を 送ることで見えてくる世界を知りたかったんです」(杉田さん)
そんな生活を送っていると、ときには特攻服に身を包んだ不良たちに囲まれ、身の危険を感じるような出来事もあったといいます。最初はその状況に気を動転させた杉田さんでしたが、話をじっくり聞くうちに徐々にお互いの距離を縮めることができ、最後は「子どもが生まれるので書を贈ってほしい」と頼まれるまでに仲を深めることができたそうです。

路上生活を送りながら路上パフォーマンスをしていた当時の杉田さん
「またあるときは、突然、リーゼントのお兄さんがやってきて、3時間くらいずっと自分の夢を語っ て、最後はハグして帰っていくなんてこともありました。学生時代にどうにもウマが合わなかった友人には『まさかお前が路上生活をするような人間だと思っていなかったよ』と、自分の新たな一 面を知ってもらえ、『お互い頑張ろうぜ』と握手ができるくらい仲を取り戻しました」(杉田さん)
路上生活を続けるうちに杉田さんは、「これまでの自分は“真面目な自分”や“普通に生きる自分” を演じていただけだったんだ」と気づくようになり、これまで無意識に目を背けてきた“本当の自分” を取り戻すことができたと語ります。
路上生活から初の個展開催のチャンスをつかみ見事成功へと導く
そんな路上生活を1年半ほど続けていると、幸運にも「長崎で展覧会をやってみないか?」という 誘いをかけられ、初の個展を開催するチャンスが巡ってきます。かねてから「自分の個展を開催 してみたい」と考えていた杉田さんは、二つ返事で快諾。開催の4ヶ月ほど前に長崎へ引っ越し、 作品の制作準備とPR活動に力を注ぎます。
「初の個展開催の機会に恵まれたとはいえ、アーティストとしてはまだまだ無名の作家です。まずはより多くの人たちに自分の存在を知ってもらおうと、宣伝のための路上パフォーマンスを積極 的に行いました。すると、その活動に興味を持ったTV局をはじめとする地元のメディアが取材に 来てくれ、九州中にその様子を放映してくれたんです。そうしたら、路上でパフォーマンスしているところへ、テレビを見た人たちの行列ができるくらいの反響があったんです!」(杉田さん)
最終的には警察が来て、商店街の人たちからも「迷惑だからやめてほしい」と言われるまでの賑 わいを見せたため、それ以降の路上パフォーマンスは中止したそうですが、その後のギャラリー での展示会は人でいっぱいになるほどの盛況ぶり。自身の作品を見て感動するお客さんの様子 を間近で目にした杉田さんは、「書道家としての手応えを着実につかむことができた」と当時を振り返ります。
こうして長崎での初個展は大盛況のうちに幕を閉じ、杉田さんの名も徐々に長崎で知られるよう になっていきました。その後もメディアやイベントに出演する機会が増え、次々と新しいチャンスを つかむ人生のボーナスタイムが到来することとなります。
杉田さんを支援したのは型破りの戦い方で評価や名声を得る星の力
その理由について千絵さんは、杉田さんが21〜31歳の期間限定で手にした武器「パイレーツ(海賊)」の影響がとてもいい形で出たことを指摘します。
パイレーツ(海賊):【実行力】を司どる星
能力を発揮する分野:野生、頭脳、責任感、実行力
勇気があり、冷静沈着。大胆に型破りの戦い方でグングン自分の地位をあげ、独自のルールで周囲を支配する親分肌。 エネルギッシュに自分のビジョンに向かう推進力は一目置かれます。
職業イメージ:国家や大企業を相手に交渉ができるような仕事、大企業、先生、監督、警察、官庁、秘書

「杉田さんに与えられた期間限定の武器『パイレーツ(海賊)』は、杉田さんが生まれながらに手にした『ハーミット(隠者)』を最高に応援してくれるメンバーです。具体的には、『ハーミット(隠 者)』がつくろうとする世界、つまり、杉田さんの場合は芸術の領域で自身が欲しいと願うモノを、大胆に型破りの戦い方でなんとしてでも手に入れてくれる強い味方なのです。これにより、評価や名声を得て、人生の表舞台に立って活躍することができます。
書道の道へと進んだ杉田さんは、路上パフォーマンスや路上生活といった型破りな手法で周囲 からの注目を集め、初の個展開催というチャンスを勝ち取り、さらにはメディアやイベントへの出 演する表舞台への切符も手にしました。それはまさに、この『パイレーツ(海賊)』の星が導いた宿 命だったのです」(千絵さん)
しかも光華さんの「Blooming Sign」によれば、杉田さんが書道への道に進むことを決めた21歳 の年は、その前に与えられた「ナイト(騎士)」の影響から抜け出し、やっと自分らしい魅力が出てくる時期だったそう。「そこから積極性が強くなり、より成果につながりやすくなる暗示があった」と千絵さんは説明します。
「加えて、23歳の年に周囲からの評価を得て、仕事に良い追い風が吹く暗示が出ていましが、まさにこの年は杉田さんが長崎で初の個展開催を実現した年なのです」(千絵さん)
アートとしての書道を実践するため神社をルーツとする日本文化を学ぶ
杉田さんの躍進は、まだまだ止まる気配を見せません。期間限定の武器「パイレーツ(海賊)」の 力は、杉田さんの活動にさらなる好影響を及ぼします。
長崎で開催した個展で、ギャラリーのオーナーから「杉田くんは正統派であろうね」というアドバイ スをもらった杉田さんは、トリッキーな手法で人の注目を集めるのではなく、自身の作品性を着実 に高めることでアーティストとしての価値を高めようと、その舵を大きく切りはじめます。
「『正統派であろう』という言葉が、当時の自分にすごく響きました。長崎に拠点をつくったタイミン グが路上パフォーマンスのやめどきだとも感じていたので、そこからはメディアやイベントに出演 することもやめ、書道家としての実力をつけることに集中しました」(杉田さん)
その手段のひとつとして杉田さんが選んだのが、神社からの学びでした。単なるパフォーマンスと して書道を行うのではなく、きちんとしたアートとして書道を実践しようとした杉田さんは、アートに 仕上げるためのコンセプトをつくる必要性を感じ、そのロールモデルを神社をルーツとする日本文化に見出します。
「『パフォーマンスとは何か?』を考え詰めていったとき、能の源流をつくった室町時代の猿楽師 である世阿弥まで遡りました。そこから『日本の文化の中にある芸術性とは何か?』を考えたうえ で、書道のパフォーマンスをつくっていくことにしたんです。たとえば、"二礼二拍手一礼"といった 一種の祈りも日本文化の中にありますが、それは『今日も書かせていただきます』という思いを作品に込めることで、より良い作品へと高める手段のひとつにもなったりするんです」(杉田さん)
また、文献を購入して、臨書などの練習にも励んだ杉田さんは、ただ文字を見て書くのではなく、 お手本とする書道家の歴史や生き方を知ることで、より深い愛情をもって書けることに気づいたと 話します。そこでそうした歴史的書道家の生き方に倣おうと、神社にお篭りをし、御神体の前で一 晩中書き続ける経験も積みました。
「これは、空海や良寛などもやっていたことで、籠ることで精神性を高めることができるんです。ど こかに籠らせてくださる神社はないかと探していたら、高千穂のとある宮司さんが許可してくださり、実現することができました。自分の中では神様と一体となったような感覚を得ることができ、とてもクリアな気持ちでただひたすら書き続けることができるんです。
また、この宮司さんからは和の文化の中心に『奉る』という考え方があることも教えていただきま した。その教えを通じて、誰かに見せるためにパフォーマンスをするのではなく、書に全身全霊で 思いを込める大切さも学ぶことができたのです。これが現在の私の書道パフォーマンスの礎になっています」(杉田さん)

高千穂のある神社の本殿に入り、夜から明け方まで作品を書き続ける「お籠り」を定期的に行っていた頃の一枚。写真は 特別に許可をもらい撮影させてもらったもの
偶然知ることとなった自身のルーツと高名な書道家・白石照山
さらには、自分自身のルーツに著名な書道家がいたことも書道の作品性を高めようとするきっかけとなりました。実はその当時、杉田さんはストリートアートから影響を受けた自身の夢を早く叶 えようと、「少しでも早くアートの世界へ移りたい」と考えていましたが、その事実を知ったことで考 えを改めることになります。
「祖母から偶然、ご先祖様に書道家がいることを教わったんです。しかも、福沢諭吉の師匠でも あった白石照山という方で、大分の中津に私塾を開いて、数多くの実業家を輩出した方でもありました。僕は母の連れ子だったこともあって、祖父母と血のつながりがなく、自分のルーツに思い 悩んでいたところがあったんですが、その答えに突然出会った気がしました。血のつながりはな いけれど、自分のルーツには高名な書道家の先生がいたんだと」(杉田さん)
この話を聞いた直後、偶然、中津での仕事があった杉田さんは、白石先生のお墓や福沢諭吉記念館など、先祖のゆかりの地を訪れたといいます。特にその墓前では、「ルーツとつながれた」という安堵の気持ちとともに感謝の念が湧いてきたそう。
「もしも、このままアートの世界に飛び込んでしまったら、白石先生に失礼な気がしたんです。こんな素晴らしいルーツがあるなら、書道家としても成功していかないと。杉田の名に恥じない生き方をしようと気持ちが切り替わりました」(杉田さん)
型破りな「パイレーツ(海賊)」らしい手法で実現させた、NYでの個展開催
こうして書道家としての足元をさらに固める決意をした杉田さんは、海外でもその活動を積極的に展開していこうと考えます。まずは「ニューヨークに飛び込んでみよう」と思い立った杉田さん は、まさに「パイレーツ(海賊)」らしい型破りな戦い方でその願いを実現させていきます。
「まだ何も決まっていないのに、300人くらいに『来年、ニューヨークに行きます!』と夢を語りました。例えば、学生時代の友人に10年ぶりくらいに電話をして近況を語りながら、翌年のニューヨー ク行きを突然宣言するといった具合にです。そうすると、話した相手の中で、自分は『来年、 ニューヨークへ行く人』というイメージが固定化されるじゃないですか。そうすることで、自分の夢 を既成事実化し、現実に近づけようと考えたんです」(杉田さん)
事実、そうしたことを繰り返していると、初めて会う人に「来年ニューヨークに行く書道家の方です よね」と言われることもあったといいます。それにより「もう後戻りできないところまで自分を追い詰 めることができ、よりストイックに夢の実現に向かうことができた」と杉田さんはその当時を振り返ります。
「でも、自分の中ではまだ、そのイメージ像にハマり切れていない気がしたんです。そんなときに巡り合ったのが、『食』をテーマとした『トリコ』という異色のバトル漫画でした。その中で主人公が 勝負に負ける場面があるんですが、その理由が戦う前から『もうすでに勝っている』と確信していた対戦相手の思い込みに負けたからだという話があって、『これだ!』と思ったんです」(杉田さ ん)
このエピソードに感化された杉田さんは、常に「自分が世界的なアーティストになって、ニューヨー クで個展を開催している姿」を想像するように心がけたといいます。例えば、スターバックスでコー ヒーを飲んでいるときも、目をつぶって「向こうのビル街がマンハッタンで、ここがギャラリー。自分 はこんな風にアーティストとして表現している」と、想像を膨らませるように。
「すると、1ヶ月後に本当に『ニューヨークで個展をしてみないか?』という話が舞い込んできたん です!よく“思いは形になる”といいますが、まさにそのとおりだと感銘を受けました。作品の準備 も何もできてないなか、開催までに半年もないようなタイトなスケジュールでしたが、それまでに 『どんなことをしようか』『どんなスポンサーを見つけようか』とイメージを膨らませていたので、すぐに行動に移すことができたんです」(杉田さん)

ニューヨークで展示をすることを決意した際に開催していた個展にて。背景の作品は「文字の息吹」というタイトル名で、文 字が持つ命の鼓動を空間作品として表現している
しかも、300人近い人たちにその夢を語っていたので、「作品に使う畳を提供したい」という人や 「スポンサーになりたい」という人もすぐに現れたそう。当時はまだクラウドファンディングもない時代でしたが、チラシをつくって大勢に配布することで、資金集めにも成功したといいます。
「ニューヨークに渡ってからは、あんなに具体的に成功イメージを膨らませていたにも関わらず、 最初の1週間は何も売れないし、急に怖くなってしまう自分がいました。でも、関係者から『これで成功しなかったら死ぬという思いで真剣にやってみたら』とアドバイスをもらったことで、心を入れ 替えることができたんです。
渡米前に多くの人たちに夢を語ってその願いを実現させたように、ギャラリーに来てくれたお客さ ん一人ひとりに夢を語り続けました。すると、個展の開催自体も良い方向へと好転していっただ けでなく、その噂を聞きつけた日本大使館の方がギャラリーへと足を運んでくれたんです」(杉田 さん)
ニューヨークのギャラリーや在アメリカ日本国大使館の施設にて展示会を開催した時の作品たち
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そこで自分が命がけでニューヨークへ個展を開催しに来たことを熱弁した杉田さんは、なんと翌年に在アメリカ日本大使館で個展を開催する確約を得ることに。しかも同年にはロサンゼルスや フロリダの大学や美術館で個展や企画展の開催を実現させるなど、アメリカでその存在感を大いに発揮することになります。それは杉田さんが世界を舞台に活躍するアー ティストとして飛躍するきっかけをつかんだ瞬間でした。
この10年の集大成として杉田さんの宿命が導いた、アメリカへの進出
「どうしてあんなに積極的に行動できていたのか、自分でも正直わからないんです。特にニュー ヨークに行こうと決意してからは、『自分は世界的なアーティストなんだ』と強く思い込むようにしていたこともあって、本当にそうしたセットアップが出来上がってしまっていたんですよね。とても好 戦的でしたし、自分ではないみたいでした」
杉田さんは当時をそう振り返りますが、千絵さんは「自分の地位を戦って勝ち取る『パイレーツ (海賊)』が、引き続き杉田さんを援護してくれたから」とその理由を説明します。
「特に杉田さんの場合は、ニューヨーク行きを決断したあたりが自身の才能を開花させ、人気が出ている実感を得やすい時期でした。そして、ニューヨークでの個展を実現させ、その翌年に日 本大使館や、ロサンゼルスやフロリダの大学や美術館で展示を開催させたあたりが、この10年 の集大成として大きな成果を上げるタイミングだったのです」(千絵さん)
まさにBlooming Signが指し示す杉田さんの宿命のバイオリズムは、杉田さんの人生とピタリと合 致しました。
その後も国際的なラグジュアリーホテルとして知られる「ヒルトンワールドワイド」やモナコ皇室御用達のハイジュエリーブランド「ヴァン クリーフ&アーペル」へ作品が収められ、言わずと知れた フランスの高級装飾ブランド「カルティエ」のギフトにも作品が採用されるなど、杉田さんのもとに は海外有名ブランドからのオファーが立て続きますが、それは杉田さんに与えられた星が導いた、杉田さんならではの宿命だったのです。
text by Jun Takayanagi
続く後編では、コロナ禍を機にシフトチェンジを図った杉田さんのアーティスト活動とその転機に 影響を与えた期間限定の武器「ウェルシー(資産家)」について詳しく解説。さらには自身の宿命 のバイオリズムを知ったうえで描く、杉田さんの“これからの展望”についても話を聞いていきま す。